金毘羅さま(こんぴらさん)
当山には嘗て境内(現在の龍光寺公園付近)に「金毘羅大権現」がお祀りされており、根津に花街があった慶応から明治の中期に掛けては特に縁日が盛んでした。
その後花街が洲崎に移転されるに至り規模は小さくなりましたが、それでも昭和の初期までは縁日が続いておりました。
昭和二十年三月、空襲により御堂を焼失しますが、その際先々代荻洲和尚が戦火の中金毘羅様を肌身離さずお守りし、現在は本堂内にお祀りされ、近年先代道治和尚が御堂の復興を試みますが体調不例にて遷化し、今日に至っております。
この度、檀家総代と協議の結果、先代、先々代和尚の念願でもあった「金毘羅堂」の建立を発願致し、現在復興中(6月完成予定)であります。
また江戸城の裏鬼門を守る「虎ノ門・金刀比羅宮」は四国丸亀城主京極高和公が讃岐より自身の江戸屋敷に勧請されたものであり、その京極高和公と唐津小笠原忠知公によって建立されたのが龍光寺です。
戦火により資料も焼失し定かではございませんがそのようなご縁からも当山に「鎮守」として金毘羅大権現がお祀りされたと推察でき、完成の後は由緒あるまた霊験灼かな金毘羅様を是非お参り下さい。
施工中の様子です。 ⇒平成20年5月10日龍光寺「金毘羅堂」落慶法要の模様はこちら
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