龍光寺(竜光寺)-天澤山- 金毘羅寺・早春賦ゆかりの寺
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龍光寺ゆかりの人々  1・


1873〜1916 (よしまる かずまさ

明治〜大正時代の国文学者。東京音楽学校(現東京芸大)の教授。42年文部省唱歌教科書編纂委員となり、「お玉じゃくし」「早春賦」「木の葉」「故郷を離るる歌」(ドイツ民謡)など多くの唱歌を作詞した。

⇒吉丸一昌さんの詳細



1648〜1693 (うかい れんさい)
江戸時代前期の儒者。徳川光圀に仕えて常陸水戸藩の彰考館に入り、「大日本史」の編修にあたる。元禄5年彰考館総裁。「資治通鑑綱目」などの訓点で(金平点)知られる。



1674〜1718 (みやけ かんらん)
江戸時代中期の儒者。徳川光圀の招きで彰考館に入り、「大日本史」の編修に加わり南朝武将列伝を担当。宝永7年(1710)総裁となり、翌年幕府儒官に登用された。



1671〜1706 (くりやま せんぽう)
江戸時代前期の儒者。常陸水戸藩に仕え、彰考館で「大日本史」の編修にあたる。27歳で彰考館総裁となった。



1739〜1804 (おんだ かくじょう)
江戸時代中期〜後期の儒者。下総古河藩(茨城県)藩士。肥前唐津(佐賀県)に生まれたが、藩主土井利里の転封で古河にうつる。藩校盈科堂学監(校長)原双桂に学び、作事小奉行などを経て盈科堂教授。詩文にも優れた。



1641〜1730 (ふかみ じゅうざえもん
江戸時代前期〜中期の侠客。朱鞘の大脇差をさして江戸市中を横行。侠客取り締まりで隠岐(島根県)に流されたが、20数年後江戸に戻った。90歳で死去。



1827〜1908 (のみ ていじろう)
幕末の剣豪榊原鍵吉に師事し、直心影流の正統15代を継ぐ。明治維新後、剣術の衰微を嘆き、榊原と撃剣会興行を催し、剣道の大衆化に力を注ぐ。明治41年、衆議院で学校剣道の採択に念願を果たす。同年9月没


名正義、初名通經、通称十左衛門。
佐藤直方に学び、唐津藩儒者たり。著書に迂斎文集、和書集外敷多し。賓暦十年十一月十日没。
年七十七。


名文之、通称文臓。
古畑玉函に学び詩文に名あり。玉函病むやよく勤め、またその交友藤森天山の為に力を盡す。
明治六年一月十七日没。年五十六。


通称文左衛門。
抱一上人に画法を受け、屋代弘賢に書を学ぶ。安政三年九月二十二日没。年六十七。丹海抱眞居士。



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